あなたの周りには、
「もっと勉強してたらなあ」
「もっと痩せてたらなあ」
「もっと自信があったらな」

と、よくこのフレーズをつぶやく人がいると思う。
過去のことを後悔し、あの時〇〇してたらなあとつぶやく人のことだ。
実は、この言葉には後ろに続く言葉がある。

「もっと勉強してたら、息子にいろいろ教えてあげられたのに」 
「もっと痩せてたら、卒業式にもどうどうといけたのに」
「もっと自信があったら、息子たちにいろいろなことをしてあげられたのに」 

そう、
この言葉をよく使う人というのは私の母のことである。
"昔してなかったこと"を悔やみ、子供達に"もっといろんなことをしてあげられた"と時折寂しそうにつぶやいてる。

世の中のことをよく知っていれば、もっといろんな選択肢を与えられたのに...
もっとお金があれば、いろんな経験をさせてあげられたのに...
と、ないものを取り上げ、自分ごとでなんでも捉え、 ちょっとばかり卑屈になってる。


けど、僕の母に対する見方は違う。


確かに、ぬけているところはたくさんあると思う。
ハワイ旅行中、
英語を使うアメリカ人の店員さんに「please this bag」で伝わりそうなところを、
まるで日本語を学んだばかりの外国人のように「このバッグくださ〜い♪」と日本語で伝えたり、

本を読みはじめたと思ったら開始3分で寝ていたり、

好きな韓国ドラマを見て気づいたら1日が終わっていたりと、
マイペースでいることは多い。

父親や息子の僕たちも「やれやれ...」と思うことはたくさんある。




けれど、僕の母親への見方が違うのは、
周りの人から愛されているのは、

「自分から何かを与え続けている」人だからだと思う。

あなたは何かを人に与えていますか?と問われても、僕は自信を持ってイエスと答えられない。


けれど母は、

仕事があって自分自身が忙しい朝、
「本業である学校や仕事で疲れちゃうのはもったいないじゃない」と
車で駅まで送ってくれたり、


学校で辛いことがあって、誰とも口を利きたくない時は、 そっとしてくれ、たまに関係のない話で気を紛れさせてくれたり、


いじめられてると自暴自棄になっていた私を
「大丈夫。あなたは独りじゃない。私たちがいるじゃない。
前を向くのが辛かったら、無理して向く必要ないわよ。休憩しましょ」
と、常に自分の味方でいてくれたりと


無愛想にこっちからつきはなそうとした僕らを決して見捨てることなく、
なんどもなんども寄り添ってくれた。


しかも、家族である私たち以外の人にも同じことを自然にしている


車で送ってくれる途中、
同じ方向に向かっている知り合いがいれば、一緒にのせて送ったり、わざわざ引き返したり、
友人の愚痴を何時間も聞いてあげたり、
自分が食べたいと買った美味しいケーキをあげちゃったりと、


いつも何かを人に与えている気がする。


僕は母親の背中をみて育ったのに、
母のように誰かのために何かを与えているかというと、なかなかイエスと答えられないし、
優しい人間かというとそんなことないと思う。

けどね、母が後悔するのは不思議だし、"もっと"何かを与えたいと思わなくてもいいのにと思うんです。
だって、十分すぎるくらいたくさんのことをもらっているから。
無償の愛って、言葉にするとチープに聞こえちゃうからあんまり使いたくないけど、
それ以外の言葉で表せられないので使わしてもらおうと思う。

〜〜〜〜〜

母さん

いつもたくさんをありがとう。
面と向かって言うのは恥ずかしいから、手紙として書きます。

本を読んでると思ったらすぐ寝ちゃったり、
すきな韓国ドラマをついつい明け方までみちゃったり、
ハワイの話とか
アホだな〜って思うことはたくさんあるけど、

どんなに忙しくても父さんや俺らのために送ってくれたり
なんども進路のことでぶつかっても最後は応援してくれたり、
いつも家族を笑顔にさしてくれたり、

本当にありがとう。
無償の愛ってこういうこというんかな〜って、実は尊敬してます。

それにね、母さんがいるからいつも家族が明るいんだ。 
母さんが旅行に行っちゃうと、男だけになって、父さんと俺らは会話も少ないから、なんとなく暗い雰囲気。
けど、母さんが帰って玄関を開けたその瞬間から
家の中がパァーッと明るくなる。
きっと父さんや朋也に聞いても同じこというと思う。

母さんにとっては、僕らはいくつになっても、いくら見た目がおっさんになっても
"子供"だと思うけど、少しでも大人になって
安心させてあげたいなって思ってます。

まだまだ迷惑をかけちゃうかもしれないけど これからもよろしくね。

いつも本当にありがとう。

息子より
〜〜〜〜〜
Thanks Mother's Day